人工音は害になります。人間が求める響きは身体を震わせる音響免疫療法の響きです。
清新世界 健康生活

『ゼロ磁場の奇跡』音響免疫療法は 伊勢神宮のゼロ磁場の磁気エネルギーをお部屋に誕生させます

伊勢神宮はゼロ磁場の奇跡を生む磁気の強いパワースポット。中央構造線の断層地帯のエネルギーが押し合い磁気が発生する場所にあります。
太古の昔、渦神社と言われた磁気の強い場所に伊勢神宮は建てられたと言われています。血液は強磁性の鉄イオンを含みます。舐めると鉄の臭いと味がします。
伊勢神宮のゼロ磁場磁気エネルギーと人間の持つ生体磁石の磁気がお互いに共鳴し、心に神を感じるのです。
古代人は本能で磁気の強い場所を選んでいました。ゼロ磁場と言われる場所に踏み入ると、土地から湧き出る磁気エネルギーに身体が共鳴し、心に神を感じ清楚な気持ちになります。
伊勢神宮の神の言葉はヘブライ語が原点。日本のゼロ磁場と言われる場所は分杭峠、諏訪大社、豊川稲荷、高野山、石鎚山、阿蘇山など。

伊勢神宮

日本の神、伊勢神宮は、ゼロ磁場磁気エネルギーの渦です。伊勢神宮は、巨大な断層地帯のエネルギーの押し合う地震地帯、中央構造線の磁気エネルギーの強いゼロ磁場にあります。太古の昔、渦神社と言われた磁気エネルギーの強い場所に伊勢神宮は建てられています。血液(強磁性の鉄イオン)は、鉄の匂いと味がします。身体は生体磁石です。伊勢神宮のゼロ磁場磁気エネルギーの渦と、人間の持つ生体磁石の磁気エネルギーの魂の渦が、お互いに磁気共鳴し心に神を感じるのです。古代人は、本能で磁気の強い場所を選んでいました。聖地と言われる場所に踏み入ると、土地から湧き出る磁気に身体の生体磁石が、磁気共鳴し心に神を感じ清楚な気持ちになります。伊勢神宮の神の言葉はヘブライ語が原点。

豊受神社 外宮神社は 由緒ある元伊勢と言われた場所

この神社は、伊勢の豊受大神宮の分霊を奉斉し、衣食住のお恵みをお与えくださる産業の守護神であらせられる。創建年月は判明しないが、伝記によれば、垂仁天皇第四皇子倭姫命が、天照大御神の神霊を奉じ、各地を遍歴され、美濃の国伊久良(居倉)に滞在後、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと、生津の地に逗留、舟旅にて伊勢に向かわれたと伝えられている。舟が出入りし故に生津といい、森の下で泊まられし故に森下とよぶなど今に伝わり貴き御跡として、大御神を斉祀し崇敬これ伊勢並の神宮として、内宮外宮を奉遷し、祭礼には両宮一体の伝統ある神事が営まれている。

ゼロ磁場磁気エネルギーの渦を響きの科学は再現しました

銀河世界で初めて地球の地磁気、ゼロ磁場磁気エネルギーの渦現象を解明し再現しました。

スピーカーに使われる磁石、コイル、振動板を応用、映画・テレビ・音楽で、激しく振動板を震わせ、衝撃波、波動エネルギー、振動、音圧の響きと板鳴りの激しい摩擦熱で地球の断層地帯に生まれる、ゼロ磁場磁気エネルギーの神秘的な渦を音響ルームに誕生させました。

世界の最先端技術は、生体磁石の磁気エネルギーとネオジムの磁石の時代です。世界で初めてゼロ磁場磁気エネルギーによるフリーエネルギー発電システムと最先端医学に革命を起こしたのです。

超常現象・超能力・テレパシーの磁気共鳴現象を世界で初めて科学的に解明しました

低体温で気のエネルギーの弱い病弱な人は、相手に気持ちが悪い、ゾッとする、老けて見える、気のエネルギーを取られるなど相手の心と体に悪い印象を与えてしまいます。

悪意に満ちた言葉と悪意の潜んだ磁気エネルギーの邪気は、気力のないエネルギーの弱い相手の心と身体につけ込み磁気共鳴で憑依し、心と身体をマインドコントロール。相手の心を惑わします。

西洋医学の癌専門病棟の心の優しい癌専門医は、癌患者から憑依され3、4年で癌になるケースが多く見られます。
心の優しい精神科医も精神疾患の患者に心と魂を憑依され病んでしまいます。中国の気功師も患者からの憑依現象で気力と磁気を奪われ、死を早めます。

気の磁気エネルギーと体温の高いテレパシーを感じる女性は、相手に若く見える、温まる、気持ちがいいなど良い印象を与えます。
気のエネルギーは高いところから低いところに流れます。気のエネルギーの共鳴による、「気」「許す」「愛」「肌が合う」「合わない」は確かにあります。
「愛」はお互いの持つ生体磁石の磁気が共鳴し、心に愛を感じ伝え合います。本当の愛は、心の磁気エネルギーが共鳴し合うことです。

私たちの研究の最大のテーマは心を幸せにするマインドコントロールです

21世紀最も大切なITテクノロジーは人間の心を幸せに導くことです。
人間の心と身体を幸せにする方法は、「生体麻薬の麻酔覚醒作用」と「生体磁石の磁気共鳴作用」があります。
21世紀最も大切なITテクノロジーは人間の心と身体を幸せにすることです。

音響免疫療法は、心を幸せにマインドコントロールする最先端のエンターテイメント療法を開発しました。
現代社会は「お金と物がすべてのアメリカンドリーム」「生命でお金を儲ける西洋医学」「死の恐怖心でお金を儲ける宗教」「スマホ、インターネットの電子文明」等の文明社会の発展は人間の心と身体を不幸にします。

血液(強磁性鉄イオン)の磁気を高めると、邪気・憑依のマインドコントロールの共鳴から心を守ります。
西堀貞夫は多くの賞を受賞しましたが、人間の心をマインドコントロールする危険な研究の為、2000年以降は賞を辞退しています。

中国湖北省の「蓮花山」 アメリカの「セドナ」はゼロ磁場の渦のパワースポット

中国の蓮花山日本の科学者が蓮花山の地殻 を科学的に計測したところ、そこは地球上で有数の断層地帯に近いことが分かりました。
地磁気の変動が顕著であり、地球学的に岩石に特殊性が見られるゼロ磁場に近い磁場になっています。蓮花山付近は磁気エネルギーが蓄積されたゼロ磁場の奇跡を生む聖地です。

アメリカのゼロ磁場「セドナ」は「渦」を意味する「ボルテックス」と呼ばれています。
この地で能力者達はいくつかのゼロ磁場のエネルギースポットを発見、その場所を「渦」を意味するボルテックスと呼んでいます。
特に磁気エネルギーが強い渦の場所は4ヶ所です。ゼロ磁場のパワースポットとして多くの人が訪れています。

「アイン(AIN)」はヘブライ語で「無」 アラビア語のアインは「泉 」アインムーサは「モーゼの泉」

アインはアラビア語で泉アイン(AIN)はヘブライ語でゼロ磁場の「無」を意味し、宇宙根源を表します。ヨルダンには2つのアイン・ムーサがあります。
アインとはアラビア語で泉、ムーサは旧約聖書に登場するモーゼ、アイン・ムーサとはモーゼの泉を意味します。
ヘブライ人を率いてエジプトを脱出したモーゼが、杖で石を打ったところ水が湧き出したという故事に由来します。

アインの心は、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと、生津の地より伊勢に向かわれた、磁気の強いゼロ磁場の元伊勢生津にあります。
西堀の父、西堀孝一は軍医として、第二次世界大戦で特攻隊のヒロポンの恐ろしさを軍の上層部に進言、ニューギニアのアインで戦死しました。
アインEIN(ドイツ語の1番)に心惹かれ、生命に奇跡を起こすゼロ磁場磁気エネルギーを開発しました。ゼロ磁場はアインの原点です。生命・エネルギーに奇跡を起こします。

伊勢の五十鈴川辺りに宮を遷さんと 倭姫命は美濃国伊久良河(瑞穂市)に辿り着き神のお告げを受け生津の地(瑞穂市)より 舟で伊勢へ向かわれた由緒ある場所 「元伊勢」が生津です

『倭姫命世記』垂仁天皇10年、倭姫が天照大神の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地(瑞穂市)に辿り着き、この地に4年滞在したと伝えられています。
倭姫は、神のお告げを受け、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと生津の地より二隻の木船で、伊勢へ向かわれたと伝えらえています。
倭姫は、舟に乗ろうとしたが豪雨で船を出すことが出来ず、森の下で泊まられた故、森下と今に伝えられています。
生津は、舟が出入りした故、生津と言われています。尾張国神戸(一宮市)に辿り着き、中島宮に滞在することになる。(『倭姫命世紀』)西堀貞夫の生まれた生津は、元伊勢と言われるゼロ磁場の磁気エネルギーの強い場所です。

『倭姫命世紀』によれば 1800年前美濃国 伊久良の地で 神のお告げを受け生津より木船で伊勢へ向かわれた

『倭姫命世記』によれば、垂仁天皇10年、倭姫が天照大神の御霊代を祀る地を探し、淡海国坂田宮より美濃国伊久良河の地(瑞穂市)にたどり着き、この地に4年滞在したと伝えられています。天神神社はこの時伊久良河宮としてこの地に宮殿が作られたのが始まりと伝えられ、また本殿右にある御船代石(みふなしろいし)はその時に天照大神の神輿を安置した跡と伝える。その後、倭姫は神のお告げを受け、伊勢の五十鈴川の辺りに宮を遷さんと生津の地(生津外宮町)から2隻の木船で川と海を下り、尾張国神戸(一宮市)にたどり着き、中島宮に滞在することになる(『倭姫命世記』)。

生津の地で水害から苦しむ人々を救った西堀弥市(西堀貞夫の曾祖父)

やなぎ

 西堀弥市【1854?1925】(西堀貞夫の曾祖父)は、秋の収穫を目の前にして、水でおおわれた田を前にため息をついた。距離「また、今年もだ。もう少しで収穫というのに水につかってしまい、米はとれない。人々の苦しむ様子が目に浮かぶようだ。」
生津(瑞穂市外宮町)は、長良川、糸貫川が流れる低湿地帯です。雨が降り続くと、田畑どころか家の中まで水が入りこみ、何日も水が引かず、毎年水害に遭う土地で「カエルが小便しても溜まり水のつく所」とまで言われるほどでした。水害で米が作れないため、農民の生活は苦しく、子供を売るような場所でした。
弥市は、生津の庄屋の子として1854年に生まれました。幼い頃父を亡くし、母親のおうめに育てられました。おうめは大変優しい人で、水害に遭った年は年貢を持ってきた農民に年貢の一部を分け与えていました。こうした心優しい母親に育てられた弥一は、水害に苦しむ人々を救うため、福知山の城跡の堀で育った柳栽培を見て、生津で柳が育つのではないか?と思いつきました。その後、福知山から柳の苗木を購入し、糸貫川の湿地や田の荒れた地に植えたところ、予想以上に育つことが分かりました。
弥市は、柳を荒れた地に次々に植えて生産量を増やしていき、柳栽培は順調に成果をおさめました。そこで、弥市は、生津の水害に苦しむ人々が豊かになれば良いと思い、村の農家を訪れ柳栽培の利点を説明しましたが、誰も耳を傾けようともしませんでした。その度に、弥市は落胆しました。「どうしてみんなは、いっしょにやろうとしないのだ。」苦悩の日々が続きました。
ところが、新聞が柳栽培が水害地域に適し、将来有望であることを取り上げたことから、弥市の柳栽培は急展開を迎えます。新聞記事の後、弥市が岐阜県知事に柳栽培を奨励するよう意見書を提出したところ、採用され、それから生津の人々は我も我もと柳栽培を始めたのでした。
柳栽培が成功すると、弥市は、柳行李(やなぎごうり)を作り始めました。質の良い柳行李を作ろうと、明治31年自分の庭に当時では珍しい、3 階建ての広々とした柳行李製造伝習所を自費で建て、柳行李職人を但馬から招きました。この伝習所が伝えた技術は、生津地区から日本各地に広まっていきました。柳細工の種類を増やし、弁当入れ、手提げの付いたバスケット、丸い型のバックを工夫し、用途を開発していったのです。1927年には、生津で戸数280 戸、従業員800 人に達し、製品はヨーロッパ、アメリカ、中国へ輸出されるほどにもなっていました。弥市はロンドン博覧会、パリ博覧会で金賞を受賞しました。弥市が72歳で息をひきとった後、弥市の功績であると感謝する人が集まり、糸貫川の堤防に記念碑まで建てられました。しかし、戦後、プラスチックの製品に押され、柳行李は生産されなくなりました。洪水の地、生津は全ての歴史を水に流してしまう場所なのでしょう。
西堀貞夫は、いくつもの開発をし、製品を世の中に出すことができたのも、この土地と、曾祖父から受け継いだ開発者の血が成せる技であったことに気付いています。西堀貞夫は、曾祖父と同じように、幼い頃父を亡くしました。軍医だった父は、軍の覚せい剤ヒロポンの使用方針に難色を示したことから戦地に派遣され、戦地ニューギニアのアイン(会社の名前の由来)で亡くなりました。そして、母の協力が西堀貞夫を後押ししました。
今回は日本中、世界中の良識ある皆様にご理解、ご賛同いただいて、医学・音楽・エネルギーの世界を変えることが出来ました。
西堀貞夫は、曾祖父の血と思いを受け継ぎ、新しい技術開発と普及に挑戦しています。

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